
25 August 2016
薩摩藩英国留学生の150周年
トーマスいづみさんは本年英国にて開催中の記念イベント、「薩摩150」の代表者です。「薩摩150」のねらいは、1865年の薩摩藩の留学生の渡英150周年を記念することです。トーマスさんは鹿児島県吹上町の出身で、現在ロンドンにてフリーランスの翻訳家および大英博物館の客員研究員として活動しています。以下は本年の記念行事についてのインタビューです。
薩摩スチューデント/薩摩藩英国留学生とは誰のことですか?
薩摩スチューデント/薩摩藩英国留学生とは、1865年に薩摩藩からの命を受け渡英した19人のことを指します。当時鎖国体制化にあった日本では洋行が禁じられていましたが、年齢層も幅広い13歳から34歳からなるこの一行が、4月17日に串木野郷羽島浦(現鹿児島県いちき串木野市羽島)より密かに英国へと旅立ちます。約2か月間の航海を経て6月21日にサウサンプトン港へと到着した留学生たちは、それぞれの目的のために行動を別にしました。視察員3名と通訳1名が欧州各地を回って商談や視察などに奔走する中で、大学への入学年齢に達していなかった長沢鼎は一人スコットランドのアバディーンの中学校へと入学。残りの14人はユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)で様々な分野の勉学に励みました。1863年に渡英していた長州五傑のうち3人も当時まだ英国内に残っていましたので、薩摩藩の留学生とも交流があったようです。
なぜ留学生たちは英国にやってきたのですか?
ことは生麦事件まで遡ります。1862年、生麦村(現横浜市鶴見区)にて薩摩藩国父・島津久光の行列に行き会った4人の英国人たちが、行列を乱したとみなされ薩摩藩士たちに斬りかかられます。結果商人チャールズ・レノックス・リチャードソンが死亡、2人は負傷しました。その後英国側が幕府と薩摩藩に賠償交渉を迫りましたが、薩摩藩がなかなかそれに応じませんでしたので、しびれを切らした英国側は1863年8月、薩摩へと軍艦7隻を交渉目的で送ります。それが結局砲撃戦へと発展し(薩英戦争)、鹿児島城下が焼かれ両サイドに死傷者を出す戦いとなりました。しかし、その戦争の中で薩摩藩は英国の圧倒的に進んだ技術を目の当たりにしましたので、その後は進んだ技術や考え方を学ぼうと英国との友好の道を選ぶのです。島津斉彬(1809-1858年)が藩主を務めていた時代にも留学生海外派遣の構想を温めていた薩摩藩は、この戦争の和平交渉の席で英国側に留学生派遣の計画を提案するに至ったのです。
薩摩スチューデントの中で最も興味深い、大きな影響を与えた、又は重要な人物を2、3人挙げてください。
様々な分野で活躍した19人の中から2、3人を選ぶのは難しいですが、この3人を選びました。
森有礼:帰国後は初代文部大臣となり、日本の教育制度の改革と近代化に尽力しました。森が確立した学校体制の基本形態はその後半世紀にわたって持続しました。しかし、森の考えに対する反発もあり、刺客に襲われ43歳という若さで死を遂げました。
町田久成: 留学中に大英博物館などに接した町田は、帰国後内務省に出仕して博物館の創設に奔走しました。帝国博物館(東京国立博物館の前身)の初代館長となりますが、晩年は出家して僧侶として生涯を終えます。館長から僧へと転じた人生も大変興味深いです。
長沢鼎:最年少13歳で渡英し約2年を英国で過ごした後、そのまま米国へと向かいます。長沢は米カリフォルニア州サンタローザにてワイン作りに取り組み大成功をおさめ、「ワイン王」の異名を持ちます。1865年に日本を発ってから再び帰国することのなかった唯一の留学生です。
どのように薩摩藩英国留学生渡英150周年を祝いますか?特別なイベントなどを予定されていますか?
薩摩藩英国留学生が英国へと旅立った地、羽島にある羽島小学校・羽島中学校の生徒の皆さんにご協力いただき、薩摩150のロゴを考えていただきました。75点の中から羽島小学校の橋野太志君(7歳)の作品を正式なロゴとして採用し、他機関主催の薩摩藩英国留学生関連のイベント等にもご使用いただいています。
7月にはJunko Ueda氏とJoe Browning氏による薩摩琵琶x尺八コンサートを催す予定です。近々開設予定の薩摩150のウェブサイトでは薩摩藩英国留学生関連の情報を発信する予定であり、そのほかにも検討中の企画があります。
英国と薩摩/鹿児島は今でも特別なつながりを持っていると思いますか?
あると思います。英国内のスーパーでもおなじみの温州みかん「SATSUMA」は薩英戦争の和平交渉で薩摩藩側が差し入れしたことがきっかけで英国にも広まったという説もあるようです。また、現鹿児島の特産品の一つである黒豚は英国のバークシャー種と言われています。
Satsuma 150のフェイスブックページ Satsuma 150に間して在英国日本国大使館の記事