News

14 May 2022

【沖縄復帰50年】インタビュー① 佐喜眞美術館館長が見る沖縄復帰50年、米軍基地問題、アートの力について

Categorised under:

2022年5月15日、沖縄が日本に復帰して50年を迎えます。この半世紀を振り返り、沖縄の人にインタビューをしながら、日本本土とは異なった歴史や文化を持った沖縄の現状を様々な角度から考えます。

1回目のインタビューは、佐喜眞美術館 館長の佐喜眞道夫(さきま・みちお)さんです。佐喜眞さんは、「沖縄戦の図」(沖縄戦で生き残った方々の証言に基づき描かれた絵画)を沖縄に残したいという画家の丸木位里(まるき・いり)・丸木俊(まるき・とし)夫妻の願いを聞き、米軍に接収されていた先祖伝来の土地を一部返還させ、美術館を設立。米軍基地に食い込むように設立された佐喜眞美術館は、様々な角度から沖縄について考える場所。佐喜眞館長に、沖縄復帰50年、米軍基地問題、アートの力について伺いました。

― まず自己紹介をお願いします。

1946年、家族が疎開した熊本県で生まれました。沖縄県民の4人に1人が犠牲となった沖縄戦の翌年でした。医師だった父が病院を開業した熊本で育ち、大学時代を東京で過ごしました。当時、まだ沖縄に対する差別や偏見が根強く残っていた時代でした。大学卒業後は、東京で鍼灸師として働き、1984年、画家の丸木位里・丸木俊との運命的な出会いがありました。その10年後に、私立の美術館を設立し、今は沖縄に住んでいます。

 ― 1972年の沖縄復帰、当時の様子を教えてください。

当時、私は学生でした。東京から「沖縄復帰」を熱い思いで見てました。「沖縄復帰」は、沖縄人からすると、親元に帰るようなロマンチックな出来事だったと思います。1951年のサンフランシスコ平和条約で、沖縄は本土から切り離され、軍用基地としてアメリカに差し出されました。復帰直前は、沖縄では、「里子に出された子供のように、あったかい親元に戻りたい」という感じのスローガンが多くありました。復帰すれば、沖縄県の米軍基地も無くなっていくだろうと考えた人もいました。一方、日本本土では、万々歳の様子でした。戦争で取られた日本の領土が平和交渉で返還されると捉えた方が多かったと思います。ただ、沖縄はそのようには見ていませんでした。

― 復帰前から、沖縄と本土で温度差があったんですね。

はい、温度差というより、決定的な差ですね。それは今でも続いてます。ずっと何も変わっていません。

― 復帰後、どんな変化がありましたか?

沖縄は、年間観光客数1000万を超える観光地になりました。綺麗な高層ホテル、観光客用のホテルが乱立してますね。トヨタのレンタカーや高級車がどんどん通り、風景が一変しました。しかし、一見、近代社会になったように感じますが、沖縄県民の生活環境は昔の貧しいままでした。

― 米軍基地問題は改善されましたか?

いいえ。日本の本土では、基地は減りましたが、沖縄では、減るどころか増えていきました(復帰した1972年は全国の米軍専用施設面積に占める沖縄県の割合は58.7%だったが、現在は約70%に増加)。ごみ溜めのように、沖縄に基地を押し付けられてる状況が、復帰から50年たった今も続いてます。これは、明らかに構造的な差別だと思います。

なぜ、このような状況が続いているのでしょうか?

米軍の問題ではありますけども、日本政府の問題でもあります。日米安保条約では、日本が米軍に基地を提供することが定められています。つまり、日本のどこにあっても不思議ではありません。

ところが、国土面積の0.6%しかない沖縄県に、全国の米軍専用施設面積の約70%が集中しています。それを国民全体が見ないふりをしているから、問題意識が生まれません。日本で選挙を行うと、国民の約80%が日米安保体制に賛成しますが、沖縄県では70%が反対します。しかし、沖縄県は人口1%なので、全員が反対してもわずかな数字にしかなりません。日本の政治の中では、沖縄の基地問題を解決するのは非常に難しいと思います。

写真:沖縄県宜野湾市に所在する普天間飛行場。沖縄宜野湾市は、市の中心部を米軍基地に占められたドーナツのような街。米軍基地が30%
以上占める。

 

― 佐喜眞美術館は、「世界一危険」と言われる米軍普天間基地のフェンス前に建っていますね美術館を建てようと思った経緯を教えてください。

 私は東京で鍼灸師として働いていた時に、「原爆の図」*で有名な丸木位里・丸木俊に出会いました。ある日、目の治療をきっかけに親しくなった丸木夫妻が、「沖縄戦の図」を沖縄に置きたいと、作品をもらい受けることになりました。私は、沖縄に作品を置くため、沖縄の美術館や行政に問い合わせをしました。しかし、どの美術館も引き取ってくれませんでした。そこで美術館や行政がやらないのであれば、私が美術館を作ろうと決意しました。

*「原爆の図」は、広島出身の日本画家・丸木位里(1901~95年)と、妻の洋画家・絵本作家の俊(1912~2000年)が、広島・長崎の被爆の実体験をもとに描かれた全15部からなる連作絵画。夫妻は、32年間「原爆の図」を描き続けた。

最初の3年間は、土地探しをしましたが、条件に合った土地は見つかりませんでした。しかし調べていくと、米軍基地の中に、私の先祖代々の土地(約千八百平方メートル)がありました。その土地は、米軍基地のフェンスの向こうにありましたが、これ以外に方法はないと思い、この土地を米軍に返させようと覚悟を決めました。

― どのように、軍用地になっていた先祖伝来の土地の一部を取り戻したのでしょうか?

まず、日本政府に対して土地返還のために必要な手続きをしました。しかし、3年以上、「米軍は返還を渋ってます」と同じ返答でした。日本政府と掛け合っても埒が明かないことに気づき、米軍に直接訴えました。すると、米軍は、「美術館か。いい話じゃないか」とあっさりと言い、翌年土地は返還されました。私は大変驚きました。なぜなら、日本政府に掛け合ったのは3年以上、米軍と話したのは、たった1回だけでした。日米安保体制の実態を見た気がしました。

― 日米の対応の違いが、顕著ですね。

はい。芸術に対する考え方も違う印象を持ちました。米軍基地の担当者から、コレクション(予定)のリストを見せてほしいと言われた時に、私が戦争や平和をテーマにしたコレクターなので、一部の日本関係者は、土地の返還は「もうダメだ」と諦めていました。しかし、米軍の担当者は、「美術館ができたら宜野湾市は良くなるね」と言ってくれました。芸術は芸術作品として、きちんと社会で機能するべきと、考える文化がアメリカにはあるように感じました。

― 美術館構想から10年で開館。その原動力は?

アートの力です。例えば、「沖縄」という非常に理不尽な状況を解決しようとする場合、言葉や理屈ではなかなかうまくいきません。しかし、人間の想像力を喚起することによって、理解してもらうことはできると思います。私は東京にいたとき、沖縄戦*の悲惨さを訴えましたが、「沖縄だけがひどい経験をしたわけではない」と言われ、理解してもらえない悔しい経験をしました。しかし、丸木さんの作品「沖縄戦の図」を見たときに、「この絵を見てほしい。ここに全て描いてある」と確信し、大きな力を頂きました。そして、画家の丸木位里・丸木俊という人間から力をもらいました。

*沖縄戦は、1945年3月末から6月末にかけて、日本軍とアメリカ軍が沖縄本島を中心に戦った戦争。住民を巻き込んだ激しい地上戦の戦場となり、20万人を超す犠牲者がた。沖縄で使用された弾薬は推定約20万トン。

佐喜眞道夫さんが米軍普天間基地の返還地に1994年に開館した個人美術館。

 

 美術館開館以来、どんな方が訪れてきますか?

平和学習を兼ねた修学旅行などで、沖縄を訪ねる中学生・高校生です。生徒は、学校の授業で沖縄戦(1945年3月~6月)の歴史を学びます。そして現場で、「ガマ」(沖縄の方言で「ガマ」と言われる自然洞窟に、住民の一部が逃げ込み、自決に追い込まれた場所。)に行き、そこで悲惨なことが起きたと説明を受けます。中高生は多くことを感じとりますが、全体として考えることは簡単ではありません。そういう状況で、「沖縄戦の図」の前に立つと、自分が勉強したこと、現場で実感したこと、全て繋がっていきます。 

                                                 

― 印象的だった出来事はありますか?

私が一番感動した出来事は、17歳の女の子の人生に影響を与えたことです。その女の子は、「私は今日の今日まで死ぬことしか考えてませんでした。しかし、明日から生きていけそうな気がします」と感想文を書いてくれました。極限状態を描いた戦争の作品ですので、一見おどろおどろしいですが、その女の子は、希望と勇気を感じとったのです。

― 自分事として考える、ということですね。

先程、沖縄戦の話をしましたが、今のウクライナの戦争でも、連日のニュースの映像で、逃げ回る子供の手を引っ張っている若いお母さんを見ると、完全に沖縄戦と重なります。戦争の記憶やトラウマが現在進行形で混在しているのが今の沖縄なので、ウクライナの状況に重なります。ウクライナへの侵攻があった際、美術館からのメッセージとして、ドイツの彫刻家ケーテ・コルヴィッツ(1867-1945年、戦争で被害を受ける母や子供、弱い人々への共感に満ちた作品を制作)の作品を3点展示しました。ウクライナのことで今、世界が心を痛めていますね。でも、ケーテの作品の前に立った人は、今世界で何が起きているのか、理解できると思います。

― 佐喜眞館長さんが考えるアートの力とは?

アートには、イメージする力があります。それは、政治的対立や利害関係など一気に乗り越えて、人間が本来持っている本当の良心や願いに届きます。自分に関係ないことを「自分事」として考えるためには、想像する力が必要だと思います。難しい事態を変えるためには、まずは自らが変わる必要がありますね。これからもアートを通して、人間の本当の姿を考える美術館を作っていきたいと思っています。

(聞き手:太田奈那、校正:小林恭子、英語翻訳:ジェイスン・ジェイムス)

Toggle navigation